「Twitter(X)のせいで科学とか科学的根拠がムチャクチャ誤解されてるなあ!」
と研究者の方が言っていたので、皆さんには誤解がないようにと科学者ではない私が科学を語ってみたいと思います。
なんか、いろいろ流されて研究者っぽいことばかりやってますので参考になればと…(*^▽^*)

まず、「科学」とはどういうことか?

科学とは、多くの観察と観測、実験結果に支えられた、変わり続ける知識の体系である。 例えば自然科学には、物理、化学、地学、生物学など様々な分野が含まれる。 これらの分野の知識の体系が自然科学である

この「変わり続ける知識」で皆さんは「あれ?」となったのでは?(*^▽^*)
科学というのは変わり続ける知識、つまりは過去に正しいと思われていたことは現在は正しくはないことが多く、現在に正しいと思われていることは未来は正しいとは限らない…
これが科学です。
科学とは人間が多くの観察と観測、実験結果で産み出す知識であり、でもその知識は変わり続ける…これが科学です。
ですから「科学=正解」と考えること自体、不正解ですよね。

では、「科学的」とはどういうことか?

科学とは変わり続ける知識の体系だとすると、いくら人間が頑張っても答えなんて出せないことになります。「今、必死になって研究したところでどうせ未来は違うんでしょ?やってられないよ…」と、そう考えてしまう人が大半だと思います。
でも、人間には少なからず変人もいて、そういう人が科学者になって答えの無い研究の世界に没頭して答えを導き出そうとするんです。

それを「科学的」とか「科学的おこない」と言います。

この「科学的」には2つの特徴があります。
ひとつは「再現性」です。誰がやっても同じ結果になるということです。
そして「因果関係」です。どうしてそうなったのか?の証明ですね。

でね、肝心なのは今現在での再現性であり因果関係だということ、今現在は正解とするけど未来は正解とは言えないということですね。
「おいおい、それじゃ科学なんて信じられないじゃないか!」と思う人が多いと思いますが、だから科学は進歩し技術も進歩していくわけです。最初から答えがあって、それが未来永劫正解であるのなら人間は苦労しなくなりますよね。

科学とは進歩、進化し続ける代物なのです。だからおもしろい!

科学的根拠とはなんぞや?

あるテーマに関する試験や調査などの研究結果から導かれた、科学的な「根拠」や「裏付け」のこと

科学的根拠とは「人間の主張」、「人間の判断」のことを言うと、私はそうしています。
科学とは変わり続ける人間の知識の体系であり、その変わり続ける人間の知識を調査や研究によって現時点では正解であると根拠や裏付けを示して主張する、それが科学的根拠だと私はそう考えています。

となると…
人間が正解であると主張するわけですから、人間には「正義」もあれば「欲望」もあり「妄想」もあり「さまざまな思惑」があるわけですから…
いろいろな科学的根拠が出てきて言い争うことになります。
そうなると、「おいおい、科学的とは再現性の世界なのにどうなってるんだ?」ということになります。まあ、これが人間社会ということです(*^▽^*)

信じるのも科学、疑うのも科学だからこそ大事なのが起こるべき事実

変わり続ける知識の体系が科学なのですから、人間が信じることも疑うことも起こるのが科学です。疑うことで科学は進歩、進化するわけですから、現時点の科学の正解を疑うことは決して悪いことではありません。

ただ、どの科学も「因果関係」ありきなので「起こった事実に対する証明」となります。
この「起こった事実」が科学の元になりますので、起こった事実を隠したりねじ曲げればそれは科学ではありませんし、科学的根拠はすべて崩れます。

コロナワクチンの場合、多くの死者、健康被害が出ているわけなので、これが事実であるなら「コロナワクチンは安全である」の科学的根拠はすべて崩れ、コロナワクチンは危険であるという事実だけが残ります。

事実は科学に勝る!

では、コロナワクチンは危険だという科学的根拠は必要なのか?
これは必要ありません。事実は科学に勝るので、事実を見て判断することが最優先されます。

農薬は安全なのか?を科学的に考えてみる

農薬は安全なのか危険なのか…未だに巷ではやあやあ言われていますが、現場ではすでに現時点での判断はされています。あくまで現時点です。

「個人差によるので消費者に判断してもらう」

農薬は国でしっかり管理はされています。しかし、だから安全だとは言えません。
農薬は動物実験と人間だと安全の対象は20歳の成人なので、赤ん坊や高齢者、アレルギー体質や化学物質過敏症の方への安全性は示していません。もちろん食品の防腐剤なども同じ事が言えます。
そもそも、アレルギー体質や科学物質過敏症は未だ未知な科学です。農薬は人間に対し安全かどうかなど未知の部分が大きいのに示せるわけがないんですね。

ただ、科学的根拠で安全性を示すことはしています。
これは「安全である!」ではなくて「安全だという基準を設けている」ということです。そして科学は変わり続ける知識なので、これからも農薬の安全基準は変わっていきます。
農薬は現時点では安全としているけれど未来永劫安全とは限らないので、今後も科学的に調査・研究を続けていくということですね。

だから、農薬を安全だと信じる科学もあれば、農薬の安全性を疑う科学もあります。これが科学です。
現に、安全だとされていた農薬が使用禁止になったことは多々ありますし、今後も使用禁止になる農薬は挙がっています。それと入れ替わりで安全性の高い農薬も次々と出てきます。

では、農薬は安全なのか、危険なのか…
それは白黒ハッキリできないことなので、安全に使うことと消費者が決めることだと私は考えています。

科学的根拠って私はあんまり信じていない…

科学を愚弄しているわけではないです。私や私と関係してくださっている研究者や医師の方々は「科学は変わり続ける知識」という意識が強いのかな?と思います。
そして、世の中には「利を得るための科学的根拠」が多すぎて、それに騙される事も多くて、だから科学的根拠は参考程度にしか受け取っていないです。

それよりも大事なのは「起こるべき事実」です。
コロナワクチンは死者が出ているのに、それに対して厚労省は認めようとしなかった。でも、結局はワクチンの因果関係を認めた。
農薬については健康被害は多く出ているし、それは農水省も厚労省も認めている。だけど農薬残留基準値以下の作物では現時点では危険であるという事実は化学物質過敏症やアレルギー体質の人以外には見受けられないので農業での農薬散布は適正利用できていれば食の安全に関しては問題ないと私は考えています。
ただ、化学物質過敏症やアレルギーは未だ未知であるので、学校給食などは農薬を使用していない作物が望まれます。

科学とは言い争うモノなのです(*^▽^*)

科学は言い争うモノで、その中で誰かが突破することで新しい技術が生まれる。そういうものなので…

科学は紀元前より存在し、人間により科学は進化し続けました。50年前の科学、20年前の科学、現在の科学…短期間ですごく変わってきてますよね。もちろん10年後、30年後にはさらに大きく変わっていると思います。
「それは非常識だ!ありえない!」と言われるモノが次々と科学的進歩を遂げていく…それが人間社会です。

だから私は科学に夢を見ています。
有機栽培だって無農薬栽培だって科学ありき!だから実現するわけですね(*^▽^*)

なのに…
巷では科学は人に押しつけるモノ、科学は人に有無を言わせないモノになっていることが多く、だから「科学的根拠」という言葉がやたら使われています。
でも、それって本来は科学ではない…
「非科学」とか「エセ科学」とかで人を馬鹿にしている人は科学に疎い人だと私には思えます。だって、科学の根本は自然科学だし…

科学とは、多くの観察と観測、実験結果に支えられた、変わり続ける知識の体系である。 例えば自然科学には、物理、化学、地学、生物学など様々な分野が含まれる。 これらの分野の知識の体系が自然科学である。

私が口癖のように言っている言葉…「自然の摂理と生き物の特性」
自然界の摂理こそが科学なのですねえ(*^▽^*)

私がエセ科学に対して強く否定しない理由

エセ科学と言われているモノは世の中にはたくさんあります。ネット上では強く批判されていることがありますが、私は人間の健康に害を及ぼすモノ以外はあまり批判はしない…
理由は科学ありきの人間社会はとてもつまらなくて成り立たないからです。人間社会は合理的かつ理屈で成り立っているわけではないですからねえ…

例えばホタテパウダーですが…
そりゃ、野菜や果物の表面に付いている農薬を落とすことは可能です。これは中性洗剤でも落とせますし、次亜塩素酸水なども落とす効果は高いです。
ただ、作物体内の農薬は落とせないです。落とせたらビックリ(*^▽^*)
じゃあ、使う意味は無いのか?
いや、使って良いんじゃないかな?古い油分は落とせますし、良からぬ菌が付着していても除菌効果はあります。作物も浸透圧でシャキッとするんじゃないかな?
また、福島原発の影響でホタテ生産業は中国などへの輸出ができなくて大損害だったと聞いています。ホタテの殻を加工して使うと廃棄物利用にもなりますし、私は頭ごなしに否定はできないです。
もし、人体に影響があるなら猛烈に批判しますけどね。安全性は高いし良い商品じゃないかな?とは思います。塩抜きされているならカルシウム補給としての有機堆肥に使うのも良いかな?

逆に、エセ科学=儲けやがって!の想いが日本は強すぎるんじゃないかな?
まあ、確かにそういうのも多いからねえ…

ただ、私が大事にしているのは「否定する科学」ではなくて「生み出す科学」です。
私が科学的に強く否定する場合は自分がそれに取って代わって新しい科学(技術)を出せる場合かな?

エセ科学を否定している人は否定してドヤ顔で終わりなので、そういう話はウケるのかも知れないけど決して役には立たないですね。

科学者ではない私の戯言でした(*^▽^*)

真の科学者の方って人に伝えるのが下手だから(*^▽^*)私がちょっと書いてみました。
私ごときが科学を語ることはとてもおこがましいのですが(*^▽^*)ガーデナーの方々にも理解してもらえる科学の解説をしてみました。