有機とは「命がある」という意味です。有機栽培とは「命がある栽培」という意味です。
生物多様性とは、タンパク質の世界から生命が誕生し、そこから進化した生き物の命すべてが繋がっていることを言います。生き物は単独では存在することはできず…(以下略)

まあ、生物多様性については私なんかよりも上手く解説できる人は多いので、そちらでどうぞ!ググってもいろいろ出てくると思います。(ちょっと手抜き…)
また、餅は餅屋で私は栽培技術を専門としていますので栽培に関わる生物多様性の保全の話とさせていただきます。(かなり手抜き)

私は有機JASもやりましたが今はやっていません。有機JAS以外の有機栽培を主力にしていますし、農家やガーデナーへの栽培技術提供も有機JAS以外の有機栽培でやっています。

生物多様性の重要性を知り、生物多様性を活用し恩恵を受け、生物多様性を保全していく…

これを栽培技術でどう表現していくかを考えれば、必然的に有機JAS以外の有機栽培となります(*^▽^*)
有機栽培とはまさに生物多様性の世界で成せる栽培技術ですので、生物多様性を知っていただくには私の作った「ピーキャット流有機栽培」のサイトを熟読していただければと思います。ガーデナー向きに解説していますのでとても解りやすいと思います。

私としては生物多様性についてはすべて「ピーキャット流有機栽培」に盛り込んでしまっているのでここでその内容を書いても仕方なく…
違う視点で生物多様性の保全の話をしてみようと思います。

栽培での生物多様性の保全を考える前に、まずは事実確認をしておきましょう。
太平洋戦争後、どうして日本で農薬と化成肥料が全国に普及し、自然破壊や生態系破壊をし続けてしまったのでしょうか?

(1)日本は敗戦し、食糧が不足し、食糧増産のために農薬を使った
(2)アメリカの陰謀で、アメリカが農薬を日本人に使わせるために仕組んだ
(3)ショッカーが日本征服のために農薬をばらまいた

性善説や陰謀説や世界征服は、まあ政治的・利権的なことなので私には真実はわかりません。もしかしたらあるのかもしれないし、ないのかもしれない…だから、私が話すことは現場で起きていたことです。
また、太平洋戦争後から昭和40年代は激動の時代だったので地域格差も激しく、昭和40年代初頭は都会では団地が建ち並ぶのに田舎では土間にかまどの生活がありました。ですから事実も色々あると思いますので、参考程度で理解してください。

農薬使用が一気に広まったのは昭和40年初頭~半ばのことです。
当時はすでに食料に窮することはありませんでした。団地が建ち並び駄菓子屋の前にはアイスキャンデーが入った冷凍庫が置いてある時代ですので…映画の「ALWAYS 三丁目の夕日」は昭和33年の頃、「20世紀少年」は昭和45年頃の日本なので、観てみると参考になると思います。誰も飢えてはいないです。

この当時に農薬使用が一気に広がったのには2つの理由があります。

一つは兼業農家の増加です。大半は稲作農家ですが、日本は資本主義社会となりお金を持っていないと人並みの生活ができないスタイルになりました。ですから、サラリーマンや職人と稲作との兼業農家が増えることになりました。
この兼業農家のスタイルが田舎で定着すると、先祖代々より受け継いできた田んぼを維持するために兼業農家が引き継がれることになります。
しかし、いくら稲作とはいえ兼業なので生産作業に追われることはできず、田植機や稲刈り機、殺虫剤や殺菌剤、除草剤を使う栽培に一気に変わっていき、それが里山にも一気に広まり、ホタルの灯火が消えました。

もうひとつは食生活が豊かになったことにあります。
昔の日本人の食事はとても質素でした。「日の丸弁当」なんて今の子供たちは知っているのでしょうか?憧れのビフテキとかおかずはメザシだけとか…
日本人の食生活が豊かになると、野菜や果物の需要が一気に高まりました。ですから増産をすることを求められ、増産すれば儲かる仕組みになりました。飢えのためではなく食生活も農家も豊かになるために農薬が使われるようになりました。
当時はまだ流通手段が乏しい地域もあって、女性が行商に出向いたり、トラックに野菜を満載して都会に売りに行くなんてこともありました。八百屋が増え、スーパーができて流通も一気に充実するとさらに野菜や果物の需要が増え、その需要に応えるために増産は必須となっていきました。
また、作物によっては大当たりで儲かる時代でもあり、農薬に依存しなければならないリンゴやメロンの農家は御殿を建てたなんて事も多々ありました。農薬使用が一気に増えた要因でもあります。

ということで、一見すると農薬はラクするためと金儲けのために使われたように見えます。

次はこれを理解してください。
私の叔父は祖父の酪農を手伝い、農業を手伝い、そして会社務めもやっていました。
そして、この叔父に嫁いだ叔母は酪農を手伝い、農業を手伝い、家事をこなし、子育てをし、家族で食べる野菜は家庭菜園で作ることになります。これ、本当の話です。
私の祖母は朝は日が昇る前、午前4時に牛舎に向かい、夜の8時には就寝する生活でした。酪農の仕事をやり、農業の仕事をやり、家庭菜園で食料を作り、家事をこなし、7人の子供を育てあげました。孫ができたら孫のためにとイチゴや栗を作り、その味が評判となって業者が買い付けに来て…

そういう時代だったわけです。これ、どこの国の話か?もちろん日本です。昭和40年代の日本です。
そんな祖父や祖母や叔父や叔母の姿を見ると…誰も農業なんてやりたがるわけもなく(*^▽^*)
しっかり勉強して良い学校に通って都会でサラリーマンになることが幸せなんだと教えられた時代でもありました。

そういう時代で農薬が普及し、そして自然破壊や生態系破壊が起きてしまったわけです。これが正解とは思いませんが理解はしてあげてください。
ただ、この昭和40年代からの農業をずっと引きずっているのも日本の農業ではあります。莫大なお金を使って農機具を揃え、農薬散布は当たり前だとし、増産すれば儲かるという考えから抜け出せない…シャインマスカットが儲かるとなるとシャインマスカット農家が激増し、サツマイモが儲かるとなるとサツマイモ農家が激増し…
令和になっても同じ事を繰り返し続けているのが日本の農業でもあります。

この歴史的背景を理解してもらって、次に進んでください。

現在、生物多様性の保全ということで昭和40年代から壊し続けてしまった自然や生態系を取り戻そうという動きが世界レベルで起こっています。
それはどこまで取り戻すのか?どうやって取り戻すのか?人それぞれ、さまざまな考えがあります。

私は祖父や祖母や叔父や叔母が築き上げたものを排除することなど絶対に考えることはありません。むしろ輝かせたい、ありがたく後世まで残していきたいと考えています。
だから、生物多様性の保全というのは昔に戻ることではなく、自然破壊や生態系破壊が起きてしまったことを排除することでもなく、新しい技術を持って生物多様性の保全を実現することにあります。祖父や祖母や叔父や叔母が致し方なく壊してしまった自然や生態系を孫である私ら世代、そしてひ孫や玄孫にあたるこれからの人たちが新しい栽培技術で取り戻していく!
そうありたいわけですが…

人の迷惑顧みずドローンを飛ばしてはしゃいでいるスマート農業…
なんだかなあ…と思うわけです。ドローンも生物多様性の保全を考えてのことにしてもらいたいんですけどね。スマート農業はそのはずなんですけどね。

私は生物多様性という言葉が流行る以前より生物多様性を学び、栽培技術に取り入れてきました。手がけたのは2002年からですのでもうかれこれ20年以上です。その割にたいしたことないので申し訳ないですが…
「ピーキャット流有機栽培」を見ていただければ、生物多様性のことは満載されていると思います。各方面にも技術提供などしていますので、そこそこは貢献できてはいるかな?知らんけど…(*^▽^*)

私の生物多様性の保全の考えは、先人達が築いてきたモノをできるかぎり残し活用し、新しい技術を持って生物多様性の保全を成すことにあります。
でも、これが政治的思惑、利権的思惑には邪魔で仕方がないらしく…

生物多様性を考えれば、どうやったって有機JAS以外の有機栽培になってしまいます。有機JASが悪いわけではありません。有機JASは商品規格で生物多様性や栽培技術は関係ないからです。
生物多様性を考えれば新しい技術が必要となり、新しい技術のためには新しい資材も必要になります。

有機JAS以外は有機栽培とは認めないとか、農薬取締法に抵触するおそれとか…
やかましいんじゃ(`Д´)
という本音は言わず、これからも目立たず少しずつ少しずつ伝える人を選んで広まればと考えています(*^▽^*)

ということで、なにか演説っぽくなってしまいましたが、巷に向けて生物多様性の保全はどんなものかというのをカンタンに解説します。

たとえば、川の氾濫を防ぐために護岸工事をし、その護岸工事によって自然破壊や生態系破壊が起こっていたとします。
ならば、どうするか?護岸工事したものを壊して元に戻すのか?もしそうすれば次は川の氾濫が起こるリスクが出てきます。
ここで考えるべき事は
■今の状態で自然や生態系を少しでも取り戻せないか?
■壊してしまったのなら別の場所で取り戻せないか?
■次の護岸工事からは生物多様性をしっかり頭に入れて進めていこう
このようになります。

たとえば、農薬により自然破壊や生態系破壊を起こしてしまっていると自覚できたのなら
■農薬散布地域を決め、地域外には農薬の飛散・流亡をさせない
■できる限りの減農薬化を目指し、いずれは無農薬化に持って行く
■殺虫や殺菌だけに頼らず、病害虫防除技術を幅広く取り入れる
■自然や生態系に影響を及ぼさない資材を使っていく
■農薬に頼らず増産・品質向上技術を磨いていく
■土壌は生物多様性を意識し、土壌消毒や石灰窒素で壊さないようにする
などなど…
「それ、普通にピーキャット流有機栽培やんけー!」というオチにはなります(*^▽^*)

生物多様性の保全というのを、昔の状態に戻すことだと勘違いしている人は慣行栽培側にもオーガニック側にも多く居ます。
有機栽培や自然栽培は昔ながらの栽培だと勘違いしている人も多く居ます。
ですが、生物多様性の保全は現状でどう生物多様性の保全をしていくかということです。昔ながらの栽培は人糞を使った栽培であり、有機栽培や自然栽培は昔には存在していない新しい栽培技術です。

それと、生物多様性を意識し活用できる有機栽培を実践すれば、自然に生物多様性の恩恵を受け、保全できることにもなります。
■農薬使用を止めたら益虫が増え、農薬に頼らなくても害虫駆除できている
■土壌の生物多様性を意識し活用したら、施肥量が減った
■土壌の生物多様性を活用し施肥量を減らすことで浸透圧が上がり、品質向上になった
■生物多様性を活用しあえて害虫を残すことで益虫を呼び戻すことができた
■益虫を殺さず害虫だけを殺せる栽培技術を身につけたら、栽培環境でも生態系バランスが高いレベルで取れた
■生物多様性を学べば慣行栽培技術も有機栽培で活かすことができた
などなど…
「それ、普通にピーキャット流有機栽培やんけー!」というオチにはなります(*^▽^*)


(自社開発したピキャットクリアを噴霧しています)

「バラは無農薬では育たない」と言われ続けていましたが、生物多様性を活用した新しい栽培技術で不可能とされていたバラ苗生産の無農薬化が実現できました。
大事なのは有機栽培ということではなく、無農薬化ということでもなく、生物多様性を活用し保全できているということにあります。どのような批判を受けたとしても、生物多様性を活用し保全できている事実こそこれからの時代は必要になります。
もちろん、慣行栽培を超えた品質と生産力も兼ね備えています。

そして、ここは必ず勘違いしないでください。
生物多様性というのはすべての生き物を受け入れるということではありません。もちろん、むげに排除してはいけませんが人間にとって害を成す生き物は受け入れることはできません。
安全管理、衛生管理があってこその命の繋がり(生物多様性)を考えていきます。ここも勘違いされていることが多々あります。
私が農業やガーデニングで安全管理や衛生管理の徹底にうるさいのも、安全管理や衛生管理があってこその生物多様性であることを理解していただきたいからです。

以上、理解しやすく書いたつもりですので語弊はあるかもしれませんが、私のように熱く語らなくても生物多様性の保全をできることは栽培現場ではたくさんありますので、身近なところからでも考え実践していただければと思います。

最後に…
生物多様性を考える場合、どうしても邪魔になるのは無用な固定概念です。生物多様性は0か100かの極論では成り立っていませんので、そういう固定概念こそ真っ先に排除して考えるべき事です。
生物多様性は現場で表現するモノです
と…わけのわからない言葉で締めさせていただきます(*^▽^*)